なんか定期的に思うことなので


Kポ好きになってから、どうやら自分は歌声ペンだったということに気付いたわけですが、歌うのは好きなので(歌手願望とかは微塵もないですけど)そういや昔から自由に歌える人に憧れていたなと思いました。
何かプラスになる感情を見いだせる歌を歌える人がうらやましいなと。
自分では満足に歌うこともできないし、書くことも作ることもできないため、それらができる人に憧れ、こんな風に歌いたいなと感じる人に自分の思いを乗せていたのかもしれないなと思いました。学生の頃の話だけど。
それが進化したのか退化したのか、今も自分で満足できるくらいには歌えるようになりたいけれど、楽曲の制作過程や歌い手の歌へ対する気持ちの部分を知れば、少しでも歌に近づけて疑似体験できるんじゃないかという思考回路に変化したせいで、うっとうしいほど咀嚼したくなるんだろうかと最近なんとなく思えてきました。
一番の興味は歌手そのものであり、その歌手が作った曲、書いた歌詞であれば知りたいと思うけど、そうじゃなければ、他人が作った歌をどのように自分で作り替えるのかといった過程の方が気になるぽい。無駄に分析してみた。
もちろんインスト系も大好きなので(元々クラシックやってたし)良く聴くけど、歌であれ曲であれ、空気感や色使いが感じらればいいやっていう結論に至った。
こないだ私が好きな市橋織江さんの写真展に行ってきたのだけど、とても好きな写真があって、その写真の前でずーっと私はなぜこの写真が好きなんだむむむって考えてみたところ、やっぱり空気感だったり色使いが好きで、結局のところ音でも絵でも何でも好きなものの本質って実は一緒なんだろうね、きっと。
まあでも帰り際には、自分の感性に向かって「何故?」って問うのはなかなどうして馬鹿馬鹿しいことだなあと思ったりしながら銀座でカレー食べていた。
相変わらずふらふらした思考回路である。
ホントなぁ・・・自分を中を掘り下げてくと、好きなものであればある程抽象的な言葉というか、もはやイメージみたいなものしか出てこなくてなぁ。
ただ単に私が言葉を知らなく無知なだけなのか、それともたくさん知識を蓄えたところで結局のところは表現できないのか、きっとこの先も延々考えては結論が出ないんだろうなと思ったりします。
そして、それがわかっててもぶつぶつこうやって文章にして吐きだすんだろうと思います。
小学生の文章か。
(`ヮ´)<ヌナ、もう寝る時間だよ!
はーい。おやすみなさーい。