朝顔の露


私のストレス解消法の一つに「書写」というものがある。
根がアナログなのか何なのか、学生時代から社会人になった今でも、突然ひらがな50音を全部ノートに書き出したりするくらい突然文字が書きたくなることがよくある。なので、ここ数年は趣味と実益を兼ねて、為になりそうな文献や心に響いた言葉、気に入った表現、そこからなにか掴めそうな気がする文章をひたすら書き写している。とにかく書く。読んで書く。書きたいものが見つからない時は手あたり次第に読む。そして書く。とても楽しい。
書写という行為は、日本語の美しさや句読点の重要さを、私にいつも実感させてくれる。
句読点は、打つ場所によって、受け取る印象が変わってくるくらいには重要であり、句読点一つで文章は美しくなると感じる。口語を文章に直す時、どこに句読点を打てば、この言葉を初めて耳で聴いた時の印象と同じ風に書き表すことができるのか。文章に書かれた点や丸が光って見えた時、それは素晴らしい文章なんだろうなと思う。私の句読点もせめてガラス玉くらいにはしたいな。
日本語が美しいなと最近感じたのは、言葉に四季を感じた時だった。単語には季節がある。同じ意味なのに、時期によって表現方法が違うこともよくある。ただの線や点でできた記号が文字になり、単語になり、意味を持ち、それを上手く繋ぐと温度や色も感じられるなんて、文章ってすげーとか思った。どうしたんだ私w疲れてんのかなw。ただ、私は日本語しか知らないがために、日本語しか美しいと実感したことがないのが切ない。この前、他言語では翻訳できない言葉というものがあるというのを知って、甚く感動した。その国独特の文化に根づいた意味を持つ言葉。無理に翻訳しようとしても、本来の意味としては理解できない言葉。まあ、国単位じゃなくても、その地方独特の単語にもそういう言葉はたくさんあって、言葉って意思疎通するために作られているのに、どうやっても理解できないものもあるという事実がなんか面白いなと思った。理解できなくても、なんとなく感じられるくらいの感受性や、受け入れられる度量が欲しいなと思ったので書いておく。
これ、あとで読み直したら、意味不明すぎて消しそうw
写真は、この前愛車をぶっとばして川まで行って、寝ながらずっと本読んでた時に取ったもの。若干寒かった。